広瀬すずの幼少期とインタビューで語った素顔 - 静岡育ちの国民的女優の原点
広瀬すずの幼少期とインタビューで語った素顔 - 静岡育ちの国民的女優の原点
日本の芸能界に数多くの若手女優が誕生するなかで、広瀬すずという名前はひときわ異彩を放つ。スクリーンで見せる圧倒的な存在感、インタビューでのはつらつとした笑顔。だが、彼女が「今の自分」になるまでの道のりは、華やかなイメージとは少し違った、地に足のついたものだった。幼少期に何を感じ、何を経験し、どんな思いを胸に育ったのか。広瀬すずが各種インタビューで語ってきた言葉を紐解きながら、その原点を探っていく。
静岡・清水で育った「普通の女の子」
広瀬すずは1998年6月19日生まれ、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の出身だ。静岡市立清水高部東小学校、静岡市立清水第六中学校を経て、あずさ第一高等学校を卒業している。芸能界とはまったく縁のない、ごく一般的な家庭環境の中で幼少期を過ごした。
広瀬すずさんは5人家族で、父親、母親、姉の広瀬アリスさん、兄の大石晃也さんの3人きょうだいだ。にぎやかな兄弟の末っ子として育ったすずは、活発で人懐っこい性格を自然に身につけていった。インタビューでも家族の話題になると、顔がほころぶことが多い。
幼少期は活発で運動好きな子供だったと言われる広瀬すず。学生時代にはバスケ部に所属し、スポーツに打ち込んでいた。当時の彼女は「女優になりたい」という夢を抱いていたわけではなく、放課後はひたすらバスケットボールを追いかける、ごく普通の女の子だった。
バスケットボールへの本気の情熱
広瀬すずさんの学生時代は、バスケットボールとともにあった。小学校からバスケを始め、中学時代もバスケ部に所属していた。「趣味でやっていた」という感覚とは少し違う。バスケットボールは彼女にとって単なる趣味ではなく、本格的に取り組んだスポーツだった。特に中学時代は部活動に熱心で、毎日の練習を欠かさず行い、夏休みには遠征試合にも参加するなど、真剣に取り組んでいた。
運動に没頭していたあの頃の経験は、後の女優としてのキャリアに思わぬ形で生きてくる。体を動かすことへのためらいのなさ、チームの中で自分の役割を担う責任感、そして勝負所で緊張をコントロールする力。インタビューでも、バスケ時代に培った「粘り強さ」が今の仕事に通じると語る場面がある。
インタビューで初めて明かした「置き去り」の記憶
広瀬すずが幼少期の記憶についてインタビューで語る機会は、それほど多くない。だからこそ、2025年に映画『遠い山なみの光』の公開記念舞台挨拶で打ち明けたエピソードは、多くのファンの心に刺さった。
イベントでは本作が記憶にまつわる物語ということにちなんで、自身の"忘れられない記憶"についてトークが展開された。広瀬は「家族でお寿司屋さんにお昼ご飯を買いに行った」という子供の頃の思い出を告白した。先に車に戻って待っていたところ、家族全員が反対側から戻ってきてそのまま車が発車してしまい、「泣きながら追いかけて『おしん』みたいな気持ちになった」と打ち明けた。
「いろいろなことを鑑みると」と語る石川監督と並び、広瀬はホッとしたようなはにかんだ表情を見せていた。ふだんはクールなイメージを持たれがちな広瀬すずだが、こうした幼少期のエピソードを語るときの彼女は、どこか少女のような無防備さを見せる。それが多くの人を惹きつける理由のひとつかもしれない。
芸能界入りは「断り切れず」から始まった
芸能界デビューのきっかけは、計画的なものとはほど遠かった。姉のアリスが専属モデルをつとめていた雑誌『Seventeen』のイベントに母と来場した際、アリスが所属していた事務所の社長から声をかけられ、断り切れずに芸能界に入った。本人の意思というより、流れに押し出された形だ。それが結果的に、日本の芸能界を大きく動かすことになる。
2012年8月、『Seventeen』の専属モデルオーディション「ミスセブンティーン2012」のグランプリを受賞し、同誌専属モデルとして芸能界デビューを果たした。中学生だった少女が、いきなり全国区の雑誌の顔になった瞬間だ。
幼少期から整った顔立ちだったことが知られており、芸能界入りする以前から「可愛すぎる」と話題になることもあったようだ。ただ当の本人は、そうした評価をことさら意識している様子はなく、インタビューでも「自分ではわからない」と首をかしげることが多い。
家族の危機が生んだ、静かな強さ
広瀬すずの幼少期を語るうえで、家族の事情を避けて通ることはできない。大黒柱であった父親が脳卒中で倒れてしまったのは、広瀬すずさんが12歳、小学校6年生の頃のことだった。父親は一時生死の境をさまよったが、どうにか一命を取り留めた。しかし脳卒中の後遺症の麻痺が残り、長期入院のため家業を廃業せざるを得なくなった。
気丈な母親はその事を子供達には隠し続け、祖父から受け継いだテナントビルや土地を売却せざるを得なくなった。自宅を担保に借金もしており、広瀬すずさんが中学3年生の時に家族は引っ越しを余儀なくされた。子供たちの前では何事もないように振る舞い続けた母親の姿は、後の広瀬すずのインタビューにも影を落とす。「お母さんのような強い人になりたい」という言葉が、各所でのインタビューに散見されるのは偶然ではないだろう。
こうした試練の時期に、姉の広瀬アリスが先にモデルとして活動し始めていた。家族の状況が、すずを芸能界へと後押しした側面は否定できない。しかしその経験が、彼女の演技に厚みをもたらしたことも確かだ。苦しさを知っている人間だけが表現できる、微妙な感情の揺れ。それが広瀬すずという女優の核心にある。
「自然体」を貫くインタビューのスタンス
バラエティ番組やインタビューでは自然体な振る舞いを見せることが多く、多くのファンを惹きつけている。飾らない言葉、少し照れたような笑い方、ときに見せるぼんやりとした表情。それがすべて計算ではなく、幼少期から培ってきた彼女の素のキャラクターに見える。
インタビューで幼少期について聞かれたとき、広瀬すずはよく「普通の子でしたよ」と答える。けれど実際には、家族の苦境があり、スポーツへの本格的な打ち込みがあり、思いがけない形で芸能界の扉を叩いた。「普通」という言葉の裏に、相当な密度の時間が詰まっている。
幼少期の経験が育てた演技の核
デビューからわずか数年で感情表現の豊かな演技を見せ、視聴者や映画関係者の注目を集めた。その速さは、単なる才能だけでは説明がつかない。子供のころに感じた不安、家族への愛着、スポーツで覚えた粘り強さ。これらすべてが、彼女の演技の土台になっている。
2013年放送のドラマ『幽かな彼女』で役者デビューを果たした後、映画『海街diary』や『ちはやふる』シリーズ、NHK連続テレビ小説『なつぞら』など多数の作品に出演し、数々の賞を受賞している。静岡の片隅でバスケに明け暮れていた少女が、気づけば日本映画の最前線に立っていた。
彼女は青春ドラマや恋愛映画だけでなく、時代劇や社会派映画にも出演し、ジャンルを問わず活躍している。特に、NHK連続テレビ小説『なつぞら』では主演を務め、視聴率も好調だったことから国民的女優へと成長した。
広瀬すず 幼少期からわかる、女優としての本質
幼少期のエピソード、各インタビューでの言葉、家族の苦労を乗り越えた経験。それらをつなぎ合わせてみると、広瀬すずという人間の輪郭がはっきりと浮かび上がる。目立つことが好きで芸能界に飛び込んだわけでもなく、プロ意識だけで突き進んだわけでもない。気づいたら立っていた場所で、全力を出す。そういう人間だ。
インタビューで「幼少期に夢見ていた自分と今の自分は違う」と語ることがある。しかしバスケに本気で取り組んだこと、家族のために強くあろうとしたこと、「置き去り」にされた記憶を今でも鮮明に覚えていること。それらはすべて、現在の広瀬すずを形作る確かな素材だ。
人はどんな環境で育ったかで、表現できるものの深さが変わる。広瀬すずの場合、静岡という土地、賑やかな兄弟、父の病、バスケットボール、そして流れのままに踏み出した芸能界という舞台。それぞれが彼女の中で溶け合い、スクリーンの上の「広瀬すず」を作り上げている。これからも、幼少期に積み上げたものを糧に、その表現はさらに広がっていくはずだ。